就職活動 〜外銀・コンサル〜
就活で落ちたとこから書いていきます。
ゴールドマンサックス:ES通過・テスセン落ち
テスセン目的で受けました。ESは全通で、テスセン受けたけど案の定だめでした。なんかあんまり落ち込みませんでした。
ES内容:自分の長所と短所(200文字以内)
他にもあったような?
モルガンスタンレー:ES・Webテ落ち
Webテは玉手箱。英語はそんなに難しくなかった気がする。ESはネットに落ちてたの繋ぎ合わせて提出した感じ。何で受けたのか未だに分からない。
ES内容:なぜモルガンスタンレーか。モルガンスタンレーにアピールしたい自分のポイント。一番頑張ったこと。をそれぞれ日本語と英語で、だった気がする。
私が証券部門のセールス業務を希望する理由は自分の強みや経験を活かせるためです。私はNTTドコモの携帯電話販売のアルバイトに従事しており、基本的な業務は携帯電話の契約業務ですが、業務に携わる以上売上を向上させたいと思い、自分で何ができるかを常に考えて動きました。ある店舗に出向した際に、売上台数が著しく低かったため、何故かを売上表を作成し検討しました。タブレット端末の販売台数が低いことと、外国人の方の購入率が低いことが原因であると分かり店舗に二つの解決策を提示しました。一点目は携帯電話とタブレットの同時購入の推進、二点目は英語のガイドラインの作成及びスタッフへの共有です。以上を行った結果、売上が上昇しNTTドコモから実績を認められるに至りました。世界最大の投資銀行である貴行においてお客様との深い信頼関係を築く必要があるセールス部門において私の強みであると言える「課題発見力」を活かし、貴行の若手でも責任の大きい仕事を任せてもらえるという環境に置いて自分でお客様にとってよりよい提案を考えていくことでお客様、ひいては社会に貢献し、そこから利益を上げることで貴行に貢献していきたいと考えています。
アクセンチュア:ES・Webテ落ち
難しめの玉手箱だった。非言語全然わかんなくてぽかーんって感じだった。落ちると思ってたら落ちた。
ES内容:①アクセンチュアの精神で最も共感出来るものは何か?(600文字以内)
②学生時代に乗り越えたこと?(600文字以内)
現在所属しているゼミで、上級生の議論に全くついていけなかったことです。議論のテーマ自体を理解できなかったため、いままでの勉強量が不足していたことを認識し、これまで通りの勉強では議論に参加出来ないと考えて3つの行動を起こしました。1つ目は上級生から議論のフィードバックをして頂くと同時に財政社会学の考え方を教わりました。2つ目は教授から毎週財政学の本をお借りし欠かさずに読み続けました。3つ目は自分で様々な経済学者の本を読みその考え方と財政社会学の考え方を比較して財政社会学に対する自分の意見を構築しました。はじめは先輩の仰っていることや本の内容を理解することすら難しく感じていましたが、この3つを欠かさず続けることで経済学、財政学の知識が増え様々なテーマについて自分の意見を持てるようになり上級生の議論に参加出来るようになりました。財政学だけでなく他の学問の勉強をした際や時事ニュースを見た際に、今までは何となく事実をインプットするだけでしたが、この経験があったことで、自分の意見を持てるようになり、他の人と議論を行うことが出来るようになりました。そしてその議論から自分の意見を深めたり、多くの人の考え方に触れることができるため、様々な物事に対して多面的な見方をするようになり、他者と意見が衝突しても相手を理解し自分と相手の折衷案を考えだせるようになりました。
③職種の志望理由(200文字以内)
ビジネスコンサルタント職に就くことで自分の実現したいことを達成できるからです。私が実現したいことは自分自身の仕事を通して直接的に日本の経済、産業を活性化することです。事業会社や政府で働く上で問題解決を測ると独善的になりがちですがコンサルティングという仕事に携わることで様々な業界の方々と一緒に仕事をし、外部から客観的に問題の解決策を考えることで効率的に日本の活性化に貢献できると考え、志望しました。
野村総研:ES・テスセン通過→一次面接落ち
ESの3つ目時間なくて「シャープは南米とかアフリカ進出したら?」みたいなの書いたら面接官が南米担当?みたいな人でめっちゃ詰められた。最後に、「これシャープの人が聞いて納得すると思う?」って言われたのが印象的だった。これが初めての面接だったからすごい緊張した。あと、面接官がめっちゃやつれてて、「ああやっぱ激務なんだな」って思った。
ES内容:①乗り越えた経験(500文字以内)
現在所属しているゼミで、上級生の議論に全くついていけなかったことです。議論のテーマ自体を理解できないため自分の意見を持てないことが多く、これまで通りの勉強では議論に参加出来ないと考えて3つの行動を起こしました。1つ目は上級生から毎回議論のフィードバックをして頂くと同時に財政学の考え方を教えて頂きました。2つ目は教授からは毎週財政学の本をお借りし欠かさずに読み続けました。3つ目は自分で様々な経済学者の本を読みその考え方と財政社会学の考え方の相違点、類似点を見いだして自分の考えや意見を構築するようにしました。更に新聞や経済の雑誌にも目を通し現在の経済の動向と問題点を探してその問題に対し経済学の考えを活かすことはできないかを考えました。この3つを欠かさず続けることで知識や財政学の考え方を身につけることが出来、様々な経済学、財政学のテーマを理解し、それに対して自分の意見を持てるようになり上級生の議論に参加することが出来るようになりました。
②このキャリアフィールドで実現したいこと、および実現する場としてNRI(若しくはNRIセキュア)を志望する理由をお書きください。
(500文字以内で簡潔に記入してください)
③企業の経営課題について、あなたならどうするか(500文字以内)
私が考える経営課題は、日本企業の海外企業に対する技術力優位性の低下による収益力低下です。かつて日本の経済発展を支えた電気機器メーカーもこの課題に直面しており、所謂大企業、優良企業でも大きな赤字を計上しています。日本の輸出における電気機器製品の割合は年々低下していますが、これは世界の不況というよりも電気機器製品のモジュール化が進んだことで技術が無くても設備さえあれば生産が出来るようになったことが原因として挙げられます。「価格は安くはないが品質は良い」日本の製品は「価格が非常に安くそこそこの品質」である海外製品のシェアを奪われつつあるのです。日本で苦労して研究開発投資を行っても市場での利益に繋がらず投資を回収できず撤退を余儀なくされているというのが現状なのです。これを解決するにはアフリカや南米などの途上国を主なマーケットとして各国のボリュームゾーンに適した価格である程度の品質を保った製品の製造を行うことが必須である。このことで収益を確保でき、現在の課題の解決に繋がると言える。
一次面接:ESの内容を詰められる感じ。かなり深く聞かれるから自分のした行動や述べた意見について論理的に説明できるようにしておいた方がいいと思う。
アビームコンサルティング:ES・テスセン通過→GD落ち
自分の論理的思考力のなさを痛感させられた。GDとはいうものの9割個人ワークだった。テスセンは割と悪くても通過するんじゃ?って思っちゃった。
ES内容:あなたが物事に取り組むにあたり軸としている考え方は何ですか? またその理由とそれに基づくエピソードを教えてください
他にもあったかも
GD:5人くらいのグループで、それぞれがロジックツリー作って発表する。面接官もそれを聞いてる感じ。で、最後に作ったロジックツリーについて質問される。私の時の課題は「どのようにして喫煙者を減らすか」だった。
コンサルって論理的思考力ほんとに必要なんだなーーって思ったし、自分にその素質がないのに悲しくなった。野村総研とか通ってたら今頃就活やってないんだろうな。はーあ。
2番目の彼氏 〜2年目〜
そんなこんなで大学2年生になりました。馬鹿な私とB君は履修の申請をすっかり忘れカツカツの単位で進級を決めないといけないことになりました。
つまり取ってる授業数が少ない訳で、暇過ぎて二人でずっと家でゲームしてました。勉強全くしない不毛な1年でした。
挙げ句私は頭も悪かったので頭がいいB君は私のために試験対策用ノートを作ってくれてました。神かよ。
こうやって季節は流れ、B君の誕生日を祝い、夏休みに香港旅行に行き、ペットを飼い始め、穏やかな毎日を送りました。
B君が全くお金ないのにバイトしないことと(デート代はほぼ私が出していた)、私の誕生日を忘れていたのは萎えました。また家から追い出しました。
誕生日は友達と友達の家族が祝ってくれました。持つべきものは友達ってはっきりわかんだね。
まあそれでも別れることなく付き合い、また半同棲を始め、冬くらいにB君の親に紹介されました。結婚する気ないなら会わないって言われました。結婚しようと思ってたので会いました。でも普通にいい人だったから安心しました。
そうこうして2人とも無事に進級しました。研究室も決まりました。めでたし。
まあ研究室に入ったのがダメで、お互い忙しくなって、研究室の友達と過ごす時間が長くなりました。
B君に誕生日に別れを告げました。あれれれれ。最後は泣いて別れたくないって言われたけど、もう気持ちがなかったので無理無理って言って別れました。B君の親にもごめんなさい。結婚しなくて。
半同棲してたので荷物とかの運び出しが大変だったりとか、飼ったペットの親権を実家のB君に譲るとか、2人で買ったゲームはどれがどっちので...とかそんなのが大変でした。
別れた後は誕生日にお祝いメッセージが来ました。ありがとうと返しました。それっきりです。
おしまい。
2番目の彼氏 〜1年目〜
2番目の彼氏B君との恋愛について紹介していきます。
B君には最初に浮気?されてしまったのですがそこは許し、付き合う中でお互い結婚まで考えていたのですが、最後は私の浮気で別れてしまいました。しかも彼の誕生日に完全に振ってしまいました。ごめんなさい。浮気、ダメ、絶対。
付き合った期間:2012/06?〜2014/06
B君は大学のクラスの友人でした。めっちゃ頭いい高校出てて、素直に尊敬していました。
上京後私は横浜に住んでいたのですが、B君も横浜に住んでいたということで、横浜駅で待ち合わせして学校に通っていました。授業後は横浜の案内とかしてもらってました。
A君のことで引きずりまくってた私と同時期に元カノに振られたB君は意気投合して益々仲良くなりました。まあ傷の舐め合い的な感じで仲良くなって、傷を埋める感じで一緒にいました。
B君の誕生日は6月だったので、それをお祝いして、付き合うことになりました。めでたし。でも今考えるとお互いそこまで好きじゃなかったような。
それで月日は流れ共通の友達C子ちゃんと私とB君の3人で、私の家で宅飲みすることに。大学生って楽しい。ちなみにこの3人は大学入ってからの所謂"いつめん"ってやつでした。
その飲み会で事件①が起きた訳です。
私はお酒が弱くてそっこーベッドにもたれかかって目をつぶってました。起きてました。B君もC子ちゃんもいい感じに酔ってて、二人は私のベッドに横に並んで寝始めました。おいおいって思ったけど、なぜか起きれませんでした。そしたらひそひそ声で
C子「さやか寝てるかな...?」
B君「多分...」
って声がして、キスする音が聞こえて、目の前が真っ暗になりました。まあ目をつぶってたのでもともと真っ暗でした。
んで結局"私の"ベッドでセックスまでしてくれて、この後3人の関係どうなるんだろって考えながら過ごしました。「やめてよ!」って途中で言えないヘタレな自分を呪いました。
最後まで終わった後、私は今起きました感を出して、「シャワーしてくるわ...」って言ってシャワーしました。
次の日に自宅に帰りたくないって言うC子だけが私の家に来ることになりました。二人でカレーを作りました。二人でタマネギを切ってる時に、私は、(ああ、昨日のこと話そう...)と思いました。
さ「ねえ、昨日私起きてたよ」
C子「マジ?えっ...ごめんね。でもね、二人のこと別れさせようとか全然思ってないから。だから、気にしないでね。むしろこれで別れたりとかしないで。ほんとごめん。」
さ「え、ああ、うん...。でも、あのベッドで寝るのやだからさ、とりあえずシーツ買い替えたいんだけど」
C子「あー。そうだよね。今度買ってくるね」
ってことで買ってきてくれました。C子とは今でもなんとなーく友達?です。この時はB君にはこのことは言わず黙ってました。
その後は何となくB君と付き合い続けました。B君は実家に暮らしてたのですが親とあまりうまくいっていなく、ほぼ私の家に入り浸っていました。所謂半同棲。B君は料理が得意だったので料理はB君がしてくれていました。洗濯は私、掃除は二人で...って感じでやっていました。
そして12月、事件②が起きました。
私はある日なんとなーくFacebookを見ていました。そしたらB君がタグ付けされた写真がありました。女と2人でディズニーに行ってました。
その頃はB君にべた惚れだったのでめっちゃ怒りました。
家に帰ってきたB君に、
さ「ねえ。誰これ?なんなの?」
B君「ごめん。ほんとにただの友達。不愉快だったよね、ごめんね」
さ「私たちってちゃんと付き合ってるのかなあ?めっちゃむかつくんだけど。出てって」
ってことで家から追い出しました。その日の夜泣きながら電話かかってきてもう二度としないって約束してくれました。わーい。
そして1月は私の誕生日でした。ミラコスタ連れてってくれました。テスト前だったのに。すごい嬉しくて、はしゃぎました。プレゼントにネックレスくれました。その頃はアクセサリーとか全然つけなかったので、もらってもあんまりつけてなかったような。
今考えるとめっちゃ申し訳ないごめんなさい。あの時はすごく幸せでした。ありがとう
→二年目に続く
1番目の彼氏 〜別れてから今まで〜
遠距離になることを期に別れたのですが、
そこからA君は変わってしまい、タバコはまだしも脱法ハーブにまで手を染めてしまい地元では怖い人扱いになってしまいました。悲しいことです。
何で知っているかというと別れた後もズルズルと連絡を取り続けていたためです。
しかも受験後は全く勉強している様子が見えなかったため、今年も受験だめなんじゃ...と思っていたら現役で落ちて大学に合格していて、素直に感心しました。勉強してたのかどうかは今でも謎に包まれたままです。
で、無事にA君も上京出来た訳です。めでたし。
その後、A君はバンド活動を東京でも続け、ライブをやる度に私を呼んでくれます。学校にはあんまり行ってないみたいだけど充実した毎日を送ってくれてなによりです。私が体調崩したときなんかはいつもご飯作りにきてくれます。でも、キスとかそういうのは一切なくて、ほんとに友達って感じです。
あと私の家の前の川の前で二人で一服するときは生活の中で3番目くらいに幸せを感じます。
そして私と別れた後は風俗にこそ通っているものの彼女は作っていないってことで、不思議だなあと思っている反面ちょっと嬉しいです。複雑な気持ちです。
今はA君とはそんなかんじでうまいことやれてます、ほんとに良い友達、です。
1番目の彼氏 〜出会いから別れまで〜
最初の彼氏A君との恋愛について紹介していきます。
今まで付き合った人の中では性格的に一番まともでした。今は良い友達です。
付き合った期間:2010/07〜2012/03
高校1年の頃から卒業まで付き合っていました。卒業を期に振られました。別れたきっかけは私が東京の大学に進学し、A君は地元で浪人することが決まり、遠距離は無理ーってなったからです。
高校1年生の春、隣のクラスにいたA君に私は一目惚れし、お互いベースをやっているのをいいことにベースを教えてほしいという名目で遊びに誘いまくってました。
ちなみにA君はめちゃくちゃベースが上手でそれで益々好きになりました。
そして夏祭りでA君に告白されて、「ああもう死んでもいい」って思いながら即OKしました。ラッキーです。その日に人生ではじめて男の人とキスをして、家に帰って枕に突っ伏して足をバタバタさせてました。
付き合ってから分かったのですがA君はとても穏やかな性格で所謂コミュ障に近いものがあったので他の女の子とは話すだけで顔が真っ赤になっていました。
高校2年生まではずっと朝バス停で待ち合わせして手をつないで学校に通い、放課後は一緒にベースの練習をしたり塾に行ったりとのんびり過ごしてました。あと高校2年生の冬あたりに初体験を済ませました。お互い初めてだったのでよく分かりませんでしたがそれからも月1くらいでしてました。
休みの日は公園でおしゃべりしたりスタジオ借りてベースの練習したり服買ったりとのんびり過ごしてました。
高校3年になってからは朝一緒に登校し、放課後は毎日塾に一緒に行きました。冬あたりは塾に最後まで残り、終バスの時間まで塾の前のコンビニでココアを買って下らない話をしていました。その頃お互いiPhoneを持ってたので、無料通話アプリを使って夜は寝る時間も惜しんで世界史の問題を出し合ったりしてました。どっちかが寝落ちするまでやってました。ああ青春。
受験は終わりお互いの結果を報告して、その時に別れが決まりました。勿論私は大好きだったので未練たらたらで上京するに至りました。